懐かしのコラム『今夜も眠れない』 in Sydney

スーパーサイズミー

Srib 懐かしのコラム『今夜も眠れない』@シドニー
あの頃わたしも若かった
思い出して載せてみます

2001年12月 『 サイズ 』
【写真】 この肉肉しいスペアリブ、幅なんと40cm


週末+夕刻+スーパーマーケット=かきいれ時。この方程式はどの国でも変わらないのだろうか?当然の解答なのだろうか。週末の夕方、ようするにゴールデンタイム。そんな時間帯にそんな地味な場所に人だかりできていていいのだろうか。何となくやるせない思いで、買いもしない雑誌を読みながら順番待ちをする買い物客の列を眺める。そして、いざ自分も加わってみる。

そう、その瞬間が問題なのだ。店内を一周したからといってそこで気を抜いてはいけない。待ち人のカートに目を走らせ量をチェック、と同時にレジ係の手際もぬかりなく査定。そして複数の情報を分析し、どのレジに並ぶか瞬時に判断しなければならない。この間、0.65秒。ジェームス・ボンドもビックリの情報収集、判断力である。

列選び。なぜそんな瞬間が重要なのか。その選択を誤るとかなり悔しくなるのは気が短い証拠だろうか。いや、そうでもない。カゴ派は少数派のこのお国。1週間分買い込んでいるのか、何人家族なのかは知らないが、周りのカートは山盛り状態。つまり、一人当たりのレジ占有時間がかなり長いのだ。並ぶ列に気を配るようになるのも、一概に短気のせいにはできないのだ。しかもオーストラリアのカートは日本のそれの2倍ものサイズ。それが山盛りなのだから、やはり列選びは慎重を期すのである。そして、そんな買い物客を横目に見る度に、さぞかし大きなうちの、さぞかし大きなキッチンに、さぞかし大きな冷蔵庫があるんだろうなぁ、と一人思いをはせてしまう。

そう、ここでは「大きいこと」、それが取り柄になるのだ。カートも、買い物袋も、気が付きゃみんなBigサイズ。携帯電話やパソコン、何でも小型化が使命のこのご時世。それでも「大は小を兼ねる」と誇らしげに言わんばかりにBigサイズが幅を利かせている。まずは、日本のアルバムに収まりゃーしない葉書サイズのスナップ写真。資源の無駄だよ、名刺サイズの電車の切符。4年いて使い切れない箱入りティッシュ。おまけに卵、そしてその黄身まで大きいときた。きっと大きなヒヨコが生まれるのであろう。

もちろん、人間のカラダもBigサイズ。私のTシャツなんか12である。サイズが12なのではない。12才用、キッズ用なのである。いったい、どんなガタイの大人に成長するのだ?と首を傾げたくなる。そんなカラダを支えるのは食事量。カラダも大きければ、よく食べる。これ自然の成り行き。若者だけではない。老若男女問わず大食漢。銀髪のおばあさんがカフェで、あごが外れそうな高さのハンバーガーをポテトフライごとペロッと平らげ、おまけにデザートにケーキをアイスチョコレートドリンクで胃に流し込む。平然と。そんな人々にゃー太刀打ちできない。と思いきや、いつの間にか大皿でないと物足りなさを覚えている、そんな慣れが私はこわい。

この国のBigサイズには小さくする必要のない余裕、そんなものをさえ感じてしまう。大きいことを十分受け入れてくれる、そういう懐なのである。

おかげで胃袋と堪忍袋が大きくなった。が、態度が大きいのはもともとだっただろうか?
最近眠りが浅く、どうもうまく過去を思い出せない。

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